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代表挨拶

常に成長! 存続! 向上!そこに働く仲間が生涯安心でき、人生を共にできる事業経営し、お客様・地域社会に貢献する会社創りを実現する。

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株式会社いわさき不動産 代表取締役 岩嵜 恵一郎

石川町で創業した経緯を教えて下さい。
A.

もともと先代は、長野で運送屋を営んでいました。

更なる事業拡張を狙い「生コン会社をやるために3億円集めたい!」と綿密な事業計画書を立て、千曲川のほとりで10,000坪地上げし、当時は通産省の方の天下り先になるほどまで上り詰めました。

しかしながら時代の流れには抗えず、しばらくして会社更生法を余儀なくされ、先方は単身で上京し、不動産会社に勤務しました。

ノウハウを得て、ほどなくして独立。最初は保土ヶ谷、杉田など転々としましたが「地域に根づかないと商売にならない」と思い、石川町5丁目の地に根付くことになったのです。

二代目となる社長は、もとから家業を継ぐつもりだったのですか?
A.

いえ、そんなことはありませんでした。

私は「人」と「料理」が大好きだったので飲食業をずっとやりたいと思っていたんです。
中学生のころから早く仕事がしたい、と考えていました。

高校を卒業してすぐに勤めた焼き鳥屋で修行を積み、20歳の時、先輩友人の反対を押し切り飲食店開業しました。
焼き鳥屋・ラーメン屋と業態を変え、最初の数年間はお客さまからダメ出しを頂きながらも、反骨心をモチベーションにし、何とかやってきました。

「もっと料理主体の店をやりたい」と中華街で更なる修行をし、新たにスタートしたお店が軌道に乗って、年間6,000万円程度の売上をあげられるようになりました。

そこまで上手く行ってて大好きだった飲食業からなぜ、不動産業へ転身されたのでしょうか?
A.

飲食業が軌道に乗ってから11年、35歳の時でした。
父親のガンの宣告により、父の事業を承継するか飲食店を継続するか岐路に立たされました。

いろいろと迷いましたが、家業を継ぐことを決意し、毎晩飲みに行っていたのをやめ、一念発起して宅建の勉強をし、何とか合格することができました。

『悔いは残すな』・『やりきる』ことにより合格できたのだと思います。

そして不動産業界へ転身したわけです。

経験のない不動産業への転身に、不安はなかったのでしょうか?
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もちろん初めての業務でしたので、不安でいっぱいでした。

ただ、「不安や期待が自分磨き」だと思ってやってきました。
辛いこと・苦しいこと、いろいろなことから『逃げない』『あきらめない』をモットーに進み、覚悟を決めたものは素晴らしい人生が待っていることを信じてきました。

慢心すること無く、クレーム処理から現地の案内からなんでも現場に立って学び続けたことが今でも役に立っています。

ご家族でやられていた頃から会社も成長し、大きくなりました。これから大切なことは何ですか?
A.

一番は「人を育てたい」と考えています。

常に成長!存続!向上!
そこに働く仲間が生涯安心でき、人生を共にできる事業経営し、お客様・地域社会に貢献する会社創りを実現する。

という私の考え方があり、これは会社の考え方でもあります。

メンバーとこの理念をしっかり共有し、常に「共感」「共鳴」「感動」できようにしています。

このお仕事をしていて一番嬉しいことは何ですか?
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お客さまからご相談頂く時が一番ですね。
「頼って頂けている」「選んで頂いている」という実感があります。

また信頼して頂けるからこそ、長いお付き合いができ、親子3代にわたって関わっているお客さまもいます。

常に選ばれる存在であるために、常にご要望と時代背景に合わせた提案で、お客さまをエスコートし、あらゆる不動産の悩みを解決していき、喜んで頂いた時は何よりも嬉しい瞬間です。

逆にこのお仕事をしていて辛いことはありますか?
A.

悩むことは多いですけど、嫌だ・辛いと思ったことは一度もないです(笑)

飲食業で最初伸び悩んだ時、「お客様が来ない恐怖」から感情が負のスパイラルに陥る経験をし、そこからプラス思考で這い上がってきました。

その時の経験が本当に今、活きていると感じます。

最後にお客さまに対して、メッセージをお願いします。
A.

どんな小さな事でも、人生に関することでもどんなことでもお気軽にご相談下さい。

業態は「不動産」ですが、最後は「人」と「人」なんだな、と思います。

どんなにIT化が進んでもフェイスtoフェイスのお付き合いを当社は大切にしてまいります。

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